電動車椅子サッカークラブ レインボー・ソルジャー 吉沢 祐輔(PwCあらた監査法人所属)
私は1歳の時、進行性筋ジストロフィーを患い、小5で歩行が難しくなり、小6で車椅子生活になりました。
当時は車椅子に乗り始めたばかりで、車いすに乗っている自分のことをみっともない・恥ずかしいと思い、学校の同級生とコミュニケーションをとることや、介助をお願いすることもできませんでした。
きっと障害を持ち、車椅子に乗っている自分をまだ認めることができていなかったのだと思います。
その思いはその頃始めた電動車椅子サッカーでも同じでした。
自信が持てず仲間とコミュニケーションが取れない日々が続いていました。
そういった状態がしばらく続いていましたが、高校1年生の時に、転機がありました。
ある日のクラブミーティングでキャプテンから『もっと自分を出しなさい。』と元気づけられたのです。
この日を境に私の中に『変わりたい』という気持ちが芽生えました。
それ以降、少しずつ仲間と積極的にコミュニケーションをするようになり、学校生活でもそれができるようになりました。
私の所属するクラブは、日本選手権で優勝することを目標に活動するようになり、大学在学中に日本選手権で初優勝しました。
また、日本代表としてワールドカップを2度経験し、2013年にはアジアオセアニアカップに日本代表キャプテンとして出場、迎えた決勝戦のオーストラリア戦では試合を決める決勝点を決め、電動車椅子サッカー史上日本初の国際大会優勝を経験しました。
しかし、翌2014年から徐々に呼吸機能の低下が始まり、人工呼吸器を日中、食事中、サッカー中にも導入の必要性が迫っていました。
しかし、私は人工呼吸器をつけている自分を認められず、それをつけて人前に出たくありませんでした。
苦しいのを我慢してわざわざ人工呼吸器を外すことすらしていました。
その結果、コンディション、パフォーマンスが落ちてしまい、日本選手権も敗退、日本代表候補から落選など不遇を味わいました。
私はこの敗退や落選したことがとても悔しくて、プレー中にサッカーができるよう電動車椅子に呼吸器台を設置して、人工呼吸器を導入することを決断しました。
それ以降苦しいと思うこともなくなり、人工呼吸器をつけている方が、調子がいいので、いまでは24時間つけています。
結果、スタミナも増え、パフォーマンスがあがり人工呼吸器導入前よりもはるかにパワーアップできました。
そして日本選手権優勝、日本代表候補復帰を果たすことができました。
それがきっかけかどうか分かりませんが、人工呼吸器をつけている自分を認めることができ、人工呼吸器をつけてアクティブに外出できるようになりました。
電動車椅子サッカーは競技自体の面白さもありますが、それ以上に競技を通して得られた心身の良い状態や、障害受容ができていることが今でも続けている大きな理由だと思います。
過去の私のように自分に自信を無くしかけたり、障害を受容できないでいる方が電動車椅子サッカーのようなスポーツを通して、自信を持ったり、障害を受容できる人が増えたら良いと心から願っています。